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 できるかどうかなんて、とりあえず悩んでいる暇はないんじゃないのか。

 うん、本当はないだろう。
 いや、結構世界はピンチなんじゃないのか。

 でもさ、同時に案外なるようになる、そんなナアナアな気分もある。
 俺一人が何をやったところで、世界はどうなることもないでしょ。
 案外、保ってるもの。

 いや、でも本当にそれで良いのか?
 60億人がいっせいに「私が何をしたところで、どうなるものでもないでしょ」とか思って自分勝手やればどうだろう?
 いや、やっぱり世界は結構ながけっぷちにいるんではないか。

 生きている僕らはたいていがけっぷちに立たされている。
 時間軸で見ても、産業や経済の発展の度合いを見ても、とりあえず今のところ地球以外に人間が住む環境がない、なんて状況をかんがみても、やっぱり僕らという存在は、往々にしてがけっぷちで必死に這いつくばっているようなものなのだ。

 そんなことを考えるとさ、やっぱりほら、
「何とかなんねえかな、世界」とか、
「何とかしねえとな、俺が」とか思わざるをえないというか、自発的に思いたくなっちゃうわよねというか、そんな青臭いったらないようなことを考えたくなるわけである。

 まあ、それと同等にやっぱりムリだとも、思うんだけどさ。

 誰だって、世界をどうにかしたいのだ。
 時として他者から到底認められないような、悪逆非道と揶揄されるような言動もあるだろうけれども、少なくとも一人の人間が「今ある状況を、ちびっとでも好い方向へ進めたい」と思う感情そのものは否定しようがないわけで、そういう意味ではあの偉い発明家も、凶悪な犯罪者も、彼らが思うこと、願うこと、その思想と良心は誰からも否定されうるものではないのだ。
 まあ、だからこそ僕らは時々、良くも悪くも、
「どうにかなんないかね、世界」
 とか思ってしまう。



 でも、死して証しを立てる、とかは正直困ってしまう。
 自殺による意思表示――婉曲的に「お前らが俺を殺したのだ」という意思表示――、それは結局、社会とか共同体とかいったものが彼を死に追いやったということだろう。

 パワーはあるんだ、確かにものすごい強力なアピールなんだ。

 でもさ、ばかばかしいじゃない。
 そんなクソッタレなもんのために命をかけるってのがさ。
 自殺、殉死、それを実行しようとする衝動は分かるけど。
 それをやったところで、やっぱりムダだよ。
 死んだら最後、変わる世界を僕らが見られるわけでは、ないのだから。



 世の中に不満があるなら自分を変えろ。
 それが嫌なら耳と目を閉じ孤独に暮らせ。
 それも嫌なら・・・
 世界を敵に回すだけの覚悟を決めて、世界を正眼し続けろ。

 とでもいうところか。

 まあ、それはいんだけど。
 じゃあアンタは一体世界を変えられるのかといわれれば、
 これがまた、なかなか難しいところで。。。
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02.07 (Wed) 03:42 [ 衝動 ] CM0. TB0. TOP▲
もうすぐ年をとる。
24になる。
いつからかまた一歩近づいた、と心の中で思うようになっていた。

何に?

暗い夜、眠れないことが多くなった。
夜更かししすぎたせいだって?
冗談じゃない。
満たされることがないから、眠るわけにはいかないのだ。
募るのは不安と焦燥感、疲労、閉塞感。

その夢のことは、今でも鮮明に覚えている。

金色の絨毯が飴色の風にゆらゆらとたなびいている。
広大な草原。あるいは、裏寂れた里山のどこかにある、野原。
すべてが黄昏色に染められている。
地平低くに留まっていた陽の光は、血液を吸い込んだように赤く、ぎらぎらと輝きながら沈もうとしていた。
僕は走り出す。
道なき道を走り出す。
行くあても知らず、ただ暗くなる前にどこかに行かなければならないという強迫観念に囚われたがごとく。
忘れてしまった誰かに巡り会わねばならないという使命感にとりつかれたがごとく。
ただそこで、どこへも行けず、誰とも巡り会うことなく、立ち往生してしまうことだけを恐れて、遮二無二走り続けるのだ。

夢から覚めると、そこにはいつもの日常が待っている。
いつもの日常?
そんなの嘘っぱちだ。
いつまでも“いつも”も“日の常”も続くはずがない。
僕は終わりに向けて走り出してしまっていた。
あの時、あの夢を初めてみた瞬間から、もうスタートしてしまっていたのだ。
あとから気づいて後悔したところで、僕達はもう産み落とされてしまった。
幸福であると同時に、それは悲劇。

僕は僕の鼓動がいつか止まることを知っている。
僕は僕の呼吸がいつか止むことを知ってしまっている。
僕は僕がいつかなくなってしまうことを知り、怯えている。

なぜ?

どこにいき、だれにあえばいいのか。
この命題が、いまだに僕にはない。

最近あの夢が少し様子を違えてきた。

僕はただ、すべてが黄昏に染まった世界の中に立ち尽くしている。
今見るこの景色の中に、僕に微笑みかけるものは何もない。
ただすべてが僕を置き去りに、静かに、ゆっくりと、しかし確実に流れていく。
砂上の楼閣が、波に現れるたびに少しずつ崩れていくように、黄昏に染まった世界はやがて少しずつ闇に侵食され、消えていく。
僕はただ一人、最期までこの世界に取り残され、最期の時が訪れるのを、じっと待っている。

それは50年先にみるヴィジョンか、あるいは明日への予知夢だろうか。
いずれにせよ、いつか僕はその瞬間を迎えるのだろう。

だからこれは、終わりの始まりだ。



たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
藤原興風
02.02 (Fri) 01:48 [ 衝動 ] CM0. TB0. TOP▲
  
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